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下仁田町

町の文化財(下仁田戦争跡など)

更新日:2020年12月24日  本文のみ印刷

14.下仁田戦争跡(昭和57年2月2日指定)

下仁田戦争跡の画像
下仁田戦争跡

 1853年のペリー来航以降、徳川幕府体制が大きく揺らぎ始めた世相の中、元治元年(1864)、尊王派の水戸天狗党と幕府軍の高崎藩が下仁田で繰り広げた戦いが「下仁田戦争」である。


 264年間にわたる徳川体制に諸外国からの「開国」へ向けた重圧により、日米和親条約が締結され、いわゆる「鎖国」体制は終焉した。


 水戸藩では、水戸光圀公による大日本史編纂が大きな事業となっており、「水戸学」と称された勤皇思想が強く見られ、特に水戸天狗党は過激といっても過言ではない尊王思想を持っていた。


 開国に踏み切った幕府に対し、激しく憤りを感じた水戸天狗党は筑波山に挙兵し、京都に禁裏御守衛総督の任についている徳川慶喜に水戸藩の実情を訴え、尊皇攘夷の素志を貫徹すべしと伝えるべく西上した。


 天狗党の一団は水戸藩士、郷士のほか神官や医者、子供や農民らの1000人あまりの大群であり、幕命を受けた高崎藩の約200名と11月16日に下仁田の地で戦が勃発した。


 高崎藩兵の戦死者は36名、天狗党4名の激しい戦いであった。 

 下仁田戦争跡2 

 下仁田戦争跡3 

下仁田戦争跡4

下仁田戦争跡5

 

 

 

 

15.長楽寺の釈迦如来坐像(昭和53年10月23日指定)

長楽寺の釈迦如来坐像の画像
長楽寺の釈迦如来坐像

下仁田町本宿に所在する長楽寺は、建久3年(1192)に創建されたという曹洞宗の古刹である。


 本尊の釈迦如来坐像は、座高78.7cm、覆肩衣と衲衣をつけ、左手は膝上で掌を仰ぎ、右手は掌を前にして立て、右足を外にして結跏趺坐する。


 ヒノキ材、内刳、彫眼、金泥仕上げ。頭・躰部は別材からなり、頭部は一木割矧造、躰幹部は前面一材、背面左右二材、脚部横一材の寄木造。頭部は11世紀の製作、躰部は13世紀後半に修造されたものであろう。おおらかな肉取りによるお顔、古様にまとめられた像容は優作である。


 胎内には、小さなお仏像(像高35.1cm、江戸時代後期の作)が納入されている。
 平安時代後期の造像時以降、折々に施された確かな修復は、この像がいかに多くの人々によって守られてきたかを物語っている。

16.伊勢山の百庚申(昭和59年9月11日指定)

長楽寺の釈迦如来坐像の画像
伊勢山の百庚申

紀年銘が磨耗され不明な物が多い中、わかる石碑として、元禄7年(1694)、享保18年(1733)、寛政9年(1797)、文政10年(1827)などの数基が見られ、133年にも及ぶ長い年月、多くの人々によって徐々に建立されたものと推定される。


 高橋道斎書、東江源鱗書など、当時の有名な書家の筆によるものも見られる。向かって、中央右手前には、当時の黒滝山の住職である月船による「庚申始末記」が刻まれ、庚申の由来が述べられている。

17.虻田の百庚申(昭和63年3月22日指定)

虻田の百庚申の画像
虻田の百庚申

 中小坂地区の旧道(下仁田~松井田線)沿いにある。発願主・永井忠兵衛、世話人・斉藤利助ら12名により、嘉永6年(1853)に着工。山の斜面に石垣を築き、庚申塔百体を1年5カ月かけ、嘉永7年(1854)8月に完成した。


 その後、明治・大正・昭和期に数体建立され、現在はその数大小108体となる。その中には、市川米庵(金洞河三亥書)、桜井阿兮等当時の有名な書家の筆によるものがある。多くの地元の人々の協力によって建立され、当時の庚申信仰に対する信仰心の盛んな様子を知ることができる。

18.清水沢の百庚申(昭和53年10月23日指定)

清水沢の百庚申の画像
清水沢の百庚申

西牧清水沢の百庚申には、発願から建立までの経過が刻まれた碑がある。それによると善男子97名が、青面金剛を信仰し土地を選んで百碑を建てることを欲し、文化15年(1818)4月に完成したと刻まれている。

矢川村の数集落の人が集まり共同して清水沢に建立したとも記されている。この百庚申群は、山の斜面に石垣を築き、そこに「庚申」「青面金剛」「梵字」「三尸」などが刻まれた大小の塔が並び、多くの人々の信仰と願望とが寄り合っている様は壮観である。

 

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