更新日:2020年12月24日
9.清泉寺の梵鐘 (昭和54年6月29日指定)
この梵鐘は、第27世の沙門義峰住職の時代、安永9年(1780)10月に町の鋳物師である太田長左衛門尉藤原順本によって鋳造された。大きさは高さ142.5センチ、口径75センチ、厚さ9センチである。いぼ状の突起(乳)は「乳の間」に5段5列4間で100個。「池の間」には、およそ500字の銘文がたがねで刻まれている。
形状は、円筒形で均製がとれ優美であり、鐘の響きも妙音で、除夜の鐘として町民に親しまれている。
10.清泉寺の宝篋印塔(平成6月3月22日指定)
この宝篋印塔は、須弥壇式宝篋印塔(または二重式宝篋印塔ともいう)である。
この形式は、群馬県と埼玉県北部にしか分布しない。町内では最も古く、明徳2年(1391)の銘文をもつ。
形態は、須弥壇をかたどった初期の形式から、笠を二つ重ねたような後期の形式へ変化する、過渡期的な時期を示すもので、中世石造物の編年を考える上でも貴重な資料である。
11.小河原の五輪塔 (昭和53年10月23日指定)
下の方から方形(地輪)・円形(水輪)・三角形(火輪)・半円形(風輪)・宝珠形(空輪)と順に積み重ねられた五層の石塔である。これは、広大な宇宙の根本的な事象を簡潔に象徴化したものと言われている。凝灰岩で出来ており、誰を葬っていつ頃建立されたのか定かではないが、空輪の宝珠、火輪の反り、投身にあたる水輪のやや圧しつぶされたような感じや、地輪の高さと幅の割合などから、中世の南北朝時代のものと思われる。
12.赤谷の宝篋印塔(昭和53年10月23日指定)
宝篋印塔は3基あり、塔身の四面には種子が刻まれており、向かって左は、宝徳2年(1450)8月15日道得禅とある。中央は、逆修の文字を刻み、嘉吉元年(1441)8月吉日とある。右は、塔身に種子を刻むだけで記銘は無いが、欠損している部分もあり、古い形式の宝篋印塔の名残をとどめている。
13.空居上人筆般若心経の碑(昭和59年9月11日指定)
この般若心経は、般若部経典の中核となるもので、260文字をもって般若経の真髄を簡潔に説いている。
これを揮亳した空居上人は、天保5年(1834)に西牧の地を訪れた真言宗の僧侶で、中国で有名な書家王義之の書風を習得された優れた書家であった。
出身については明らかではないが、一説には光格天皇のご落胤であろうといわれている。
なお、この碑の建立の時には、上人が読経することによって巨石がたやすく運ばれたという伝承も残されている。
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