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下仁田町

中小坂鉄山について1

更新日:2020年12月24日  本文のみ印刷

中小坂鉄山(小坂鉱山とも呼ばれた時期もある)

いしみやの画像
いしみや

 中小坂鉄山で製鉄が始まったのは江戸の頃(弘化~嘉永年間と言われている)、「かべっちゃら」と呼ばれる場所で、たたら製鉄を行っていたと伝えられている。

砂鉄を使った「たたら製鉄」から鉄鉱石からの製鉄の契機となったのは幕末の黒船襲来と言われ、国内各地で雄藩などにより反射炉が造られました。

安政二年には中小坂の鉄が那珂湊に運ばれ、水戸藩の反射炉で利用された記録も残っています。

 中小坂での洋式高炉による鉄の生産開始は明治7年と言われ、民間資本で開業している。外国人(英国人・スウェーデン人)の雇い入れにより、積極的な技術導入や高炉の建設なども行われ、日本初の西洋式・近代的製鉄所(蒸気機関・熱風送風)として、初めて出銑に成功した。また、銑鉄だけでなく、錬鉄(パドル法)、鋳鉄まで精錬した実績も残り、地元にはここで製造された製品が残っている。世界大戦でほとんどのものが供出された中、製造年月や製造場所が刻字されているものも残っていた。最も古いものは山頂の石宮の鉄柱で向かって左の柱には「明治八年乙亥(きのとい)三月十九日」「当山ノ産品鐵製テ作」右の柱には「蒲原郡下田郷五十嵐」「庭月村施主坂井加賀蔵」と刻まれている。安全祈願のために最初の鉄で造り、石宮の柱として奉納されたものと思われる。

大火鉢の画像
大火鉢

また、町内に残っていた大火鉢には「上州甘楽郡金窪以所産鋳造之 明治十年一月」刻まれており、内国勧業博覧会に出品するために造られた三つのうちのひとつと言われている。

大火鉢の画像
明治期の製鉄所

 民間資本で始まった中小坂鉄山ですが、明治11年から17年には官営となり、工部省小坂鑛山分局が置かれた。
 その後、また民間に払い下げられ、明治41年(1908)操業を停止した。
 当時の施設は大正7年(1918)撤去されたが、大正12年(1937)には日本鋼管株式会社が採掘権を設定している。
 廃止の理由としては、関税自主権がないことによる安価な鉄製品の流入なども考えられるが多くの謎を残す。

  昭和12年、国内資源開発の必要から再開発され、鉄鉱石が京浜の高炉へ運ばれ、鉱山も大いに賑わった。
 戦後は経営者が次々と変わりながら、昭和36年まで採鉱が続いた。現地には坑道やトロッコ道、焙焼炉や熱風送風用炉の煉瓦積み下部や、クラッシャーが置かれた「タタキ」などが見られる。
 その他、製造品や輸入レンガ、耐火レンガなどが下仁田町歴史館で展示されている。

『古文書などから見た中小坂鉄山』

坑道枕木跡の画像
坑道枕木跡

【那珂湊市史料一二集(反射炉編)】

  安政二年辰年正月

  上州甘楽郡小坂村より出産

  鉄鉱之儀ニ付大島惣左衛門書出之面写

一.此鉄鉱ハ天地開闢以前より有之候祖山又ハ始山と申唱候諸山より産出する所の

  磁石様鉄鉱(マクネートエーセルステーンとルビあり)ニ相違有之間敷と奉存候

  磁石様鉄鉱ハ祖山より産候諸鉄鉱中尤上等之物ニ御座候此鉄鉱中鉛気銅気又ハ

  硫黄気等之混合物無御座候得ハ是より製候鋳鉄尤純粋にして大砲等鋳立候ニ宜敷

  可有之と奉存候ズウエーデン国ノールウェーゲン国ロシア国等ニおいては此等の

  鉄鉱より鉄を製候故其品位諸国ニ冠たる由ニ奉存候以上

      正月十七日       大島惣左衛門           御徒目付次座

【水戸烈公の国防と反射炉(昭和11年10月15日発行)56~57頁】
水戸藩那珂湊反射炉 
 左の大島高任の筆記は当時の作業の有様を如実に見る心地させる。

 「安政三年ニ三月の交反射炉試溶の準備をなす、まず炉内を装飾して雲州鉄三百六十貫を盛り、また火室に薪材を盛り、窓口を封じて火を点じ、助川産の石炭を投入すれば炭塊ただち破裂し、細粉となりて灰室に落ちるもの多しといえども、またその格上に留まる ものはさかんに鳴動焚焼して火勢はなはだ猛烈なり、徐々に石炭を加ふる一時(今のニ時間)許にして炉内全く白熾となる、更に石炭を加えて、火をさかんにすれば鉄塊しきりに溶け、流液となりて炉底に貯留す、これに於いて開き渣滓を酌み去り、鉄液を攪擾(かくじょう)する数回にして、また窓を閉じ、更に火をさかんにして鉄液を熱化す、じして注孔を放ちて鉄液を砂床に注潟す。

 点火より注潟までの間、三時半(今の七時間)を費やせり、じして後、炉内を見れば不熱の鉄塊およそ七八十貫目をあますといえども炉内の煉瓦は依然として損傷あるを見ず、煉瓦はよく猛火に耐へて生鉄を溶化するの力あるをもって、この反射炉によって鉄銑を製造するもわずかも憂いべき所なきを実験し得たり」

 溶鉄の実験はかくして成功した。掛員一同の喜び、またこの成功の報を耳にした烈公の喜びはどんなであったろう。あにこれ獨り烈公のみの喜びではなかった。大日本の喜びでなくして何であろう。

 かくて試溶の成功はすこぶる良好であったから、従来藩内の砂鉄を採集して鉄材をつくり、また雲州鐵を買いこみ、あるいは上野国小坂村祖山(又は始山とも言う)より産出の磁石性鉄鉱を準備しおいたのを使用して、まず五六十貫目くらいの小型「モルチール」砲より鋳込みを開始した。

 鋳込みにあたっては、並々ならぬ苦心を要した。そして出来上がった銃棒を柳澤の水車場に運んで錐入れを成し、その大砲をば祝町海岸の渚に於いて試射をしたのであった。

(一部、旧字や送り仮名等、現代文に直してあります)

【読売新聞に中小坂の名前が出る記事(明治年間のみ)】

・1884(明治17)年10月11日朝刊2面

 ◎鉱山貸下げ 今度工務省にては上野国北甘楽郡中小坂鉱山の営業を府下麹町区飯田町4丁目坂本弥八へ貸下げられたり

・1891(明治24)年5月28日朝刊2面

 ◎中小坂の鉄鉱 群馬県北甘楽郡中小坂村字反替戸鉱山は 元飯田町4丁目の坂本深八氏が工務省より払受けしを先頃一の会社として中小坂鉱山会社と号し浅草黒船町に本社を構えて鈴木信仁氏を社長となせしに 今回内務省非職書記官古澤経範氏之を一万五千五百円にて買取る事となりし由なるが 之には曾根陸軍少将も関係して大に鉄鉱採掘を盛んにする見込みなりと>>

・1893(明治26)年3月14日付朝刊2面

 ◎日本第一の良鉄 群馬県下上州中小坂(なかこさかとルビがはいっている。間違いか)より採掘する鉄の性質はよほど良好の由にして最も鋼鉄を製するに適せりと云う 元来鋼鉄に用いる鉄は余程良好の質にあらざれば之を造り難きものなれども 中小坂の鉄なれば最も適当にして此(かく)の如き良質のものは世界中に於いても屈指たる程なりと云う

・1893(明治26)年5月3日付朝刊2面

 ◎中小坂製鉄所の再興 上州中小坂製鉄所は今度再興して来る廿日頃よりは銑鉄製造に着手すべしという 尤も製鉄所重役は理事長小澤男爵・理事小高純一・河村隆實の三氏 監査役丸山作楽・山脇善右衛門・郷田兼徳の三氏にして 製造事務の顧問は其事務に熟練たる坂本技監なりと

・1894(明治27)年4月5日付録1面

 ●上州中小坂鉄山 当時男爵小澤武雄氏等の所有に係る上州北甘楽郡中小坂鉄山が明治初年以来諸人の手に渡り渡りて何時も利益を挙ぐること能はざりしに関せず近来に至り最も利益ある鉱山となりしことは余輩の予て聞く所なりしが 此の鉱山よりも採掘する所の鉄は所謂る銑鉄(ズタてつ、とルビ)なるものにして其の品質の精良なることは全国中未だ嘗て比類すべきものなく予て我海軍省及び平岡工場、芝浦工場等にて使用し来れる英国産のガッセール銑鉄と全く優劣なき品質なりと云えり

  現今の採掘高は一日平均五噸(一噸東京にての相場三十二、三円位)にして 昨年の下半期の利益は株金に対する年六朱 今年上期も同じく年六朱の見込みなるが 之までは僅か一個の鎔鉱炉を用い来りしが為め右の如き利益に止りしものなれども 目下更に一個の鎔鉱炉を据付中なれば今下半期よりは産鉄の量を増すと共に 余分の利益を見るに至るは必然のみならず 近々の中(うち)高崎より富岡を経て下仁田に通ずる鉄道の成就する上は運賃の上に少なからざる便利を得 随って益々利益を大にするの望あり

  併し同鉄山の鎔鉱には重に木炭を使用せる処近傍諸山の木炭限あるが故に此の点より猶ほ規模を大にするわけには行かず 先づ二個の鎔鉱炉に止め置かざるべからざるを以て 今度別に之と同質の銑鉄を生ずる信州南佐久郡大日向鉱山を買い入れ之を第二工場として益々盛大の採鉱を営むの計画なりと云う

・1896(明治29)年4月19日付朝刊5面

 ◎中小坂鉄山の売却 中小坂鉄山会社は先頃の株主会議に於いて売却の事に決し今度愈々大阪の鉱業家小倉英之氏に三万三千円にて売買の約整い近日中授受の手続きを了する筈なりという

・1896(明治29)年5月28日付朝刊5面

 ◎中小坂鉄山会社の解散 同会社所有の鉱山は今度他人へ売却の予約を為せしに付き近日受渡結了の上は会社は任意の解散を為すという

関連ページ 

中小坂鉄山について2

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所在地:下仁田町大字下小坂71-1
電話:0274-82-5345
FAX:0274-67-7776

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