更新日:2021年4月7日
【製鉄の歴史は耐火レンガの歴史】
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「製鉄の歴史は耐火レンガの歴史」とも言われています。中小坂鉄山では建設当初、資材の多くはイギリスから輸入されました。「LANCHESTER」の刻印があるレンガが製鉄所跡から見つかっており、「SNOWBALL」や「ATLAS」の刻印があるレンガも製鉄所跡から発見されたものとして伝わっています。国産では赤羽製作寮製で小口に「天城」の刻印のあるものや、品川白煉瓦社製のものが使われています。
【陸軍砲工学校の教科書から】
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工芸学教程の表紙 |
「なまこ」と呼ばれたインゴット |
「大日本中小坂」のサンプル |
陸軍砲工学校の教科書で、明治40年『工芸学教程』(工芸通論)第3版で紹介されていたものです。通常、流通していた鉄のインゴットは海鼠状で長さが0.6~1m、幅が8~10cm、「なまこ」と呼ばれていたそうです。外国製品にまじり「大日本中小坂」の鋳出しのあるインゴットが紹介されています。(右側写真下から二本目)
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大戦の供出をも逃れた貴重なインゴット |
下仁田町歴史館にある鉄のインゴット
中小坂鉄山製の製品も、大戦時に供出されたものも多く残っているものは貴重です。下仁田町歴史館に展示してある「鉄のインゴット」2本は完品ではありませんが資料として貴重なものです。
2本とも鉄の搬出路であった『梅沢峠』富岡市側で見つかりました。この2本には大日本や日本の文字鋳出しが見られます。全長約1m、幅約8cmと陸軍砲学校の教科書で紹介されているものとも合致します。
重量については1本が17.8kg、もう1本が17.0kgとなっています。完品の重さはわかりませんが、8貫目(30kg)では持ち運びが大変と思われ、20~25kgで流通していたのではと推測しています。
【昭和期の資料】
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明治後半操業停止後、大正12年に日本鋼管株式会社が採掘権を設定し、昭和12年、鉄不足により地元の園部兄弟によって再開され、鉄鉱石は日本鋼管株式会社に送られました。
【中小坂鉄山と幕臣小栗上野介】
アメリカから帰った小栗上野介は横須賀造船所の建設計画にあたった。その際、中小坂鉄山の鉱石の品質の高さを知り、この鉱山に着目した。関連リンク
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