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下仁田町

下仁田戦争について

更新日:2018年8月15日  本文のみ印刷

下仁田戦争

◆下仁田戦争史記
「幕末の世情と開国」
(1) 嘉永6年(1853年)、アメリカの海軍大佐ペリーが軍艦4隻を率いて浦賀の沖に姿を見せた。船体は真っ黒で黒い煙をあげる蒸気船に姿に人々は気味悪がった。もしペリーが江戸に向かってきたら、八百八町の半鐘を打ち鳴らし、町民に知らせるお触れが番所より出ていた。今にも戦いが始まるという噂が町々に流れ、人々は恐怖におののき、気の早い者は家財道具を荷車に積んで田舎へ引っ越してしまう光景も見られたという。当時の世論は圧倒的に攘夷論者が多く、幕府は容易に開国できず内憂外患の状態であった。
 しかし、外国からの圧力に屈し、井伊直助らが条約を結び開国したので、世の中は騒然となった。

「天狗党挙兵と西上の途」
(2) 水戸藩においては、ペリー来航より、29年前の文政7年(1824年)にイギリスの捕鯨船が薪や水を求めて上陸していた経緯もあり、水戸藩には攘夷論の急先鋒も多く存在した。こうした中、水戸藩において文武両道に優れた数名が『尊王攘夷』を旗印に筑波山に挙兵し、その集団は天狗党と呼ばれる一派であった。
 挙兵当時は、わずか63名であったが、やがて発起人を慕う青年武士や諸国の浪人、農家の次男、三男等が続々と筑波にやってきた。同志も増え、総勢400人ほどとなり、水戸藩及び幕府も本格的に筑波討伐を始めた。幕府は高崎藩以下11藩に対し、厳しい命令を出した。
 高崎藩は2,000人を出兵した。天狗党と幕府軍の最初の交戦は幕府軍が勝利をおさめたが、時をあけずして天狗党は、勝利に気を良くし祝杯に酔った幕府軍の寝込に夜襲をかけ、総崩れさせた。その後、幕府軍は1万3,000人の討伐兵を送り込み、7ヶ月に及ぶ戦いに勝利した。
 天狗党の残党920余名は尊王攘夷の素志を貫徹すべしと、在京の徳川慶喜へ進言するために西上の途を決めた。これを聞いた沿道の諸藩は何事もなく領内を通り過ぎることを願った。上州へは太田宿から入り、藤岡、吉井、七日市、一ノ宮を経て下仁田に入り、高崎藩と交戦を繰り広げた。
 天狗党はさらに、信濃、美濃と戦をしながら通過し、越前に入ったが幕府軍3万人との戦いに力尽き、降伏、処刑された。

「下仁田での戦争の様子」
(3)天狗党の行軍が、一ノ宮(現:富岡市一ノ宮)に入ると、幕命を受けた高崎藩は藩兵3隊320人余りの追撃隊を下仁田に向かわせ、先回りし下仁田の先の下小坂に本陣を構えた。
 元治元年(1864年)11月16日未明、両軍の砲声が山々にこだまし、天狗党920余名と高崎藩の2隊により『下仁田戦争』がはじまった。
 戦いは一進一退であったが、天狗党の三面奇襲が勝敗を分け、高崎藩は敗れ、残兵は中山道で高崎に敗走した。高崎藩本陣付近での激戦は午前4時から6時頃まで続いた。この戦いで高崎藩は36名、天狗党4人の戦死者を出した。深手を負い捕えられた高崎藩士は青岩河原で処刑され、翌日、戦死者と共に遺族に引き取られた。また天狗党の戦死者は村内の寺に厚く葬られ、重傷者の中には信州への峠を越えて絶命した者もあった。

町内で見られる『下仁田戦争関連史跡』一覧
■1高崎藩士戦死の碑:明治26年11月16日、下仁田戦争30周年を記念して最大の激戦地となったこの地「岩下」に建立されている。
※「高崎藩士戦死之碑」は勝海舟の書による。
■2高崎藩本陣里見家 蔵の弾痕:高崎藩は小坂村名主里見治兵衛宅前に陣を構えたが、水戸天狗党の三面奇襲を受ける。蔵には当時の弾痕が残る。
■3水戸天狗党本陣桜井家:本陣には総大将武田耕雲斎、山国兵部、田丸稲之衛門ほか幹部数十名が宿営。
■4高崎藩士切腹の場:捕えられた高崎藩士七名が処刑された場所(青岩河原)
■5野村丑之助の墓:初陣の丑之助は13歳。田丸稲之衛門の小姓、右手を切り落とされる重傷を負ったことから、願って自害、首を討たれた。
■6義烈千秋の碑:てん額「義烈千秋」は小松宮彰仁親王の書。碑文は依田百川による。明治33年旧水戸藩士が下仁田警察署長に赴任した際、資金を募集し建立
■7久保田藤吉、斎藤仲次の墓:久保田、斎藤の身分や年齢は不詳だが、安導寺の戦いで戦死し本誓寺に埋葬された。両者とも水戸天狗党
■8大曾根繁蔵の墓:安導寺の戦いで戦死。水戸天狗党
■9下仁田町歴史館:下仁田戦争で水戸天狗党が高崎藩本陣を攻撃する際、この松周辺から発砲したことから、それ以降「狙いの松」と呼ばれた。第二次世界大戦末期に松根油を採取する目的で伐採されてしまった。 

 下仁田戦争跡  下仁田戦争 行軍程

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