更新日:2020年12月24日
1.高橋道斎の墓(昭和38年1月8日指定)群馬県指定史跡
高橋道斎(享保3年~寛政6年)は、下仁田の富豪の家に生まれた江戸時代中期の漢学者・俳人・書家。
はじめ、中根東里に陽明学を学び、後に儒学各派の説を取捨し良説を導く折衷学派の井上蘭台に学んだ。また西毛俳壇の中心人物で俳人としても活躍し、芭蕉句碑を建てるなどした。
書は唐様の書家高頤斎に学び、日本三古碑の一つ多胡碑(高崎市吉井町)の歴史的・書的価値を見出し広く世に紹介し、現在に至る多胡碑研究の出発点となった。
常住寺にある道斎の墓の銘文は、文章は市川寛斎(道斎の弟子で南牧村出身。後に江戸の湯島聖堂<昌平校>で学び学頭となり更に富山藩に招かれ藩校の教授となる)、書は沢田東江(道斎と同門で兄弟子。江戸の書家)の手になる豪奢なもので、町内唯一の群馬県指定史跡である。
2.西牧関所(昭和53年10月23日指定)
中山道の脇往還であった信州道は、下仁田道とも呼ばれた。宿場下仁田は、昔から物資の集散が多く、幕府の御用砥石もここに集められ、信州佐久米もこの街道を利用した。
ここから、信州へは内山峠、和美峠などへ通じる関門で、記録によると文禄2年(1593)西牧の藤井村を、関所の所在地と定め西牧関所が設けられた。
3.中小坂鉄山・製鉄所跡(昭和53年10月23日指定)
中小坂鉄山は、弘化から嘉永年代にかけ、名主・永井嘉右衛門、鉱山所有者・石井忠左衛門によって採鉱製錬が始まったと言われている。明治11年(1878)に経営が官営となり、政府は工部省中小坂分局を置き、イギリス人オ-トル氏、スウェ-デン人ベルクリン氏を招いて技術指導を受けた。
この製鉄所は、高炉のみではなく、錬鉄炉や鋳造設備なども備え、銑鋼一貫作業の形態をとった。釜石製鉄所が操業を始めるまでは、錬鉄炉の完全操業による錬鉄生産は、日本唯一の洋式精鋳鉄所であった。大正7年(1916)に全設備を撤去し、採掘・製錬を中止した。
4.中小坂鉄山製 鋳鉄大火鉢(昭和60年7月17日指定)
現在、下仁田町歴史館に展示されている。民営で操業していた頃の明治10年(1877)、我が国で第1回内国勧業博覧会が開催され、そこに出品するため、同じ火鉢を3個造ったその中の一つである。残りの2個は、未だ発見されていない。
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